父からもらったもの


病院嫌いの父は
癌が見つかったときには
既に余命3ヶ月と言われ

胃から転移したガン細胞で
内臓全体が真っ黒になっていた。

入院しても病院嫌いは相変わらずで
薬は飲まずに枕の下に隠していたり

亡くなる1週間前には
病院を抜け出して
映画に行ったりもしていたようで

ある意味、死ぬまで譲れない領域は
守っていた人だった。



そんな父が
病院で転んだとの連絡を受けて
すぐに帰るつもりで、1歳の息子を夫に預け
一人で田舎に駆けつけた。

その日は寝たり起きたりの状態だったが
時々目を覚まして
少しだけ会話もでき
夜になって
妹家族や母は家に戻ることに。

私と父の友人との二人が
自分達の意思で付き添うために病院に残ることにした。



その夜
徐々に辛そうな状態になり
目を開けることが殆どなくなり
苦しそうな表情で、立てた膝を何度も組み変える父の足を
私は何時間もさすり続けていた。

この一時が過ぎれば また父が返ってくることを
疑うことなく何時間も。



そんな時、看護師さんから
「一度 ご家族を呼びましょうか。
ゆっくりでいいので、来てもらうように
お電話してきてください」

 

妹に電話を掛けて
戻った私を待っていたのは


息を引き取ったばかりの父だった。
~~

この経験は
何年も私を苦しめた。

とても好感を持っていた看護師さんだった。

しかし、後から沸いてくる不信感が拭えない。


父の側についていたにも関わらず
死の瞬間にいてあげられなかった。


その後、この経験が感謝に変わったのは
エリザベス・キュープラ・ロスの書籍だった。



人は亡くなる時
大切な人を悲しませないよう
その瞬間に
居合わせないようにさせることがある。

と、確かこのような内容が書かれていた。


逆にいうと
私が何時間もさすり続けていたことで
父は苦しくても肉体を離れることが
できなかったのだ。

看護師さんは経験から
恐らくその事を理解していたのでしょう。
そっと私を父から離してくれた。
父はどれだけ苦しいのを耐えていたか。



父は、晩年こそ穏やかな人だったが
怒りの人とも言えるくらい激しい気性で
幼い私は辛い思いをたくさんした。


しかし
亡くなる際の大きなギフトは
その後の私の人生に
多大な影響を与えてくれた。

もらったのは
「愛」そのものだ。



後日談

東京に戻ってからも
悲しくて毎日泣いていた。

その朝も
ひとりでメソメソしていた。

キッチンカウンターに置いてあった
形見の電気カミソリが
コンセントも差してないのに
「ブルブル~!ブルブル~!」

あれから17年
いつも側に父を感じる。

目に見えないものの大切さを
教えてくれた父だった。

 

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