かけがえのない人達
何を話されているのか全く理解できず
たぶん私が言っていることも分かってない。
認知が進んだ女性で意思の疎通が難しく、正直トリートメントさせてもらってもいいのか迷った。
一瞬、このまま立ち去ろうかとも考えたのだが、そうだ!と思い、アロマの香りを嗅いでもらったら顔がパッと明るくなった。
表情を見ながらゆっくりトリートメントを始めたところ
「おばあちゃん、よかったね!気持ちいいでしょ」と、お孫さんらしき人が入ってきた。
お孫さんは、私がトリートメントしている反対側にスルリと入り込み、女性の左手を手に取り会話を始めた。
それはまるで、幼児の言葉を上手に聞き取る母親のように、優しく見つめながら会話を楽しんでいる。
そのうち、透き通るようなお孫さんの瞳から
ポロポロと涙がこぼれ始めて止まらなくなった。
大きな瞳からポロポロと涙を落しながら
何度も繰り返す女性の話に、初めて聞いたかのように受け答え
目をじっとのぞき込み頷き返し
乱れた髪を撫でつけて、額を優しく撫でる。
もうあまり長くない残された時間を、慈しんでいるかのようだった。
右手のトリートメントが終わったが、おふたりの間の温かい空気感をそのままにしておきたくて
お孫さんの手にアロマオイルを垂らして差し上げ
「これでおばあちゃまの手を擦ってあげてください。やり方は気にしなくていいですよ。」とお伝えして
私は両足の施術に移った。
今、最期の看取りを専門にしているプロの方がおられると聞く。
実際に何をどのように行うのか知らないので、それについて語ることはできないけれど、残り少なくなった大切な時に他人が介入することについて疑問に思うことがある。
勿論、誰もが家族との関係がいいとも限らないし身寄りのない人もおられるので、一概には言えないことは重々承知のうえで誤解を恐れずにいうと、やはり家族以外に出る幕はないのではないかと感じるのだ。
そして今日お孫さんとおばあちゃまとの時間を垣間見たことは、ますますその思いを強くさせた。
人は死にゆく時に
絶妙なタイミングで
残された人の人生に必要なギフトを贈る。
大きな意味でいうと、残された人というのは家族だけでなく、取り巻く人達全員なのだろうけど
その方の人生においての「かけがえのないない人達」との間で、手渡しされるものなのではないだろうか。
仲が良くても
憎しみ合っていても
疎遠でも密接でも
家族の繋がりには
重要な意味がある。