先逝く人からのギフト

 

もう20年近くまえ

ちょうど今くらいの
風が気持ちいい季節のころ

よっちゃんが
もう長くないらしいと連絡をもらった。


私は、妊娠を機に会社を辞めたのだが
調子が良くなく安静が必要になったため
田舎に戻っているうちに
元の同僚だった よっちゃんとは
音信不通になってしまった。


胃癌が見つかって
闘病中に
すべての友人と連絡を断ったのだと
後に弟さんから教えてもらった。


それでも
もう長くは生きられないという時に
会いたいらしいと連絡をくれたのだった。

   

      

  


どうしてあれほどまでに
怖かったのか。



くりくりした瞳
ぽっちゃりした頬
コロコロ笑う
しゃべりながら
下唇を舐めるクセ

そんな よっちゃんが

駆けつけた時には
呼吸をしているのが不自然なくらい
痩せほそっていた。

 

      

その頃の私は
死の影がすぐそこまで迫っている人と
接した経験がなかった。

見る影もなく変わってしまったことが
なのか
明らかに死期が迫っていると感じることなのか

理由は分からないけれど
とにかく怖くて目を背けたかった。



でも
大好きなよっちゃんが
いなくなってしまう前に
何かしてあげたい。

けど
何をしていいか分からない。

怖くて側にいたくない。
でも
会いに行かずにはいられない。

まだオムツが外れない息子を
伯母に頼み込んで預かってもらい
足を運んだ。



行くだけ行って何もできず
ただ手を握って顔を眺める。
乾いた唇が痛々しい。

たまに来る看護師は
感情を見せない。

窓から さらさらと入ってくる 風だけが
優しかった。






ボブのウィッグと赤い口紅が
以前の可愛らしい よっちゃん を
思い出させた。

最期のお別れは辛すぎて
どうしても
お葬式には行けなかった。


30歳そこそこで逝ってしまった。
心残り、あったのだろうな。


彼女との最期の関わりは
その後の私の人生に
大きな影響を与えてくれた。


ホスピスやホスピタルクラウンの活動に
関わりや意識が向くようになったのは
彼女に何もしてあげられなかった後悔から。

間違いなく
私をそこに導いてくれた。
彼女からの大きなギフト。



よっちゃんは?
最期まで自分らしく生きられたのかな。


風は目に見えないけど
風の軌道は見えるね。

 

 

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五感を研ぎ澄まして直感を磨く

前々回の投稿で

「自分に必要なものとそうでないものは
(物に関わらず事とかもね)
自分の身体が知っている
と書きました。

 

自然と自然な生き方

http://ikasare.hatenablog.com/entry/2017/05/31/170139



それについて思ったのだけど
自分の答えに気がつくには
やはり「直感」が研ぎ澄まされていることだなと。

直感って
結局は本当の自分の声なんだよね。
潜在意識からの声とでもいうか。


直感が鋭くなってくると
必要か必要ではないか だけでなく
タイミングとか
シンクロの読み解き方もうまくなる。

 

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ところで
ご飯を食べている時のこと
ちょっと思い出してもらえる?

考え事してる?
会話に夢中?
メールチェック?
スマホでゲーム?
テレビ見てる?

「食べる」という行為は
自分と繋がるという行為。

余談だけど
不安感が強い人は安心感を得るために
知らず知らずのうちに自分と繋がれる
「食べる」行為に依存して
太ってしまうこともある。

話が逸れました。

要は「食べる」行為から
自分と繋がる。


目の前の食べ物の色やツヤ、形
美味しそう?
口に含んだ食感
噛んだ時の感覚
味や匂い
鼻に抜ける香り
湧いてくる感情

 

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感覚を丁寧に感じると

五感が鋭くなってくる。


そして

直感力が磨かれる。

 

 

あとね
こんな風にご飯を食べると
シアワセ感が半端ないの〜(≧∇≦)

 

 

今度さ

一人でご飯を食べるチャンスがあったら
やってみて!

 

スマホよりも
楽しいよ( ´ ▽ ` )ノ

 

自然と自然な生き方

今日は

お味噌の天地返しをして
近くの土手にアーシングにやってきました。

自然と仲良くする暮らしは
とても気持ちがいいです。


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ところで
我が家には「薬箱」がありません。

常備薬は精油やひましオイル
あとは季節の野菜や果物。
 
 
息子は小学生の頃から
怪我と結膜炎以外は
病院に行っていません。

18歳だけど虫場もなし!
歯磨きは嫌いなのにさ。
ほんと羨ましい〜。
 
  
風邪をひくのは
一年に一回くらい。
夫は年に4〜5回は
「風邪かなぁ」って。
市販薬をこっそり飲んでるみたい。。

 

風邪は身体のリセットなので
身体の声を聞いて
食べたいものを食べて
熱を上げて
自分の力で治します。

 

風邪のひき始めは
お風呂上がりに
キャリアオイルにオレガノオイルを
1〜2滴垂らして
足の裏に塗ります。
ラベンダーオイルを焚いて寝ると
翌日にはすっきりです。

 

 

かかりつけの病院があって
しょっちゅう通っていて
検査したり
お薬を飲んでいる子ほど
よく病気をしている気がする。
 
かかりつけの病院があるって
普通なのかな。。。
そんなふうだから
うちはないのだけど。
 

 

考え方はそれぞれなので
正解はないのかもしれないけど
 
必要なものと
そうでないものは
自分の身体が
ちゃーんと分かっているのだと
感じます。
 
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さて
アーシング完了!
これから珈琲豆を買いにいきます。
 
美味しい珈琲
これだけはやめられないっ!

 

 

魂の繋がり

叔父は

お酒が大好きで

大声で怒鳴る
大声で笑う
ギョロ目で赤ら顔
 
一見取っつきにくくて
怖い感じの男だけど
困っている人を助けずにはいられない
とても心の優しい人だった。
  
   
    
肺癌で闘病中だった叔父が
間質性肺炎を併発して
危ないかもとの連絡を受けるも
その後 なんとか持ち直し
半月ほど経った頃
    
仕事を言い訳に
田舎に見舞いに帰らない私に
妹から電話が入った。
  
 
まさお おんちゃん
いつ亡くなってもおかしくない状態やよ。
親族で会ってないの、ねぇちゃんだけやわ。
  
  

その時
「待っていてくれてる」のだと
直感的に感じた。。。
  
  
   
正直、何日も仕事を休みたくなかった。
それなりに責任のある立場にも就き
やりがいと居場所に重要感を感じ
大切なものを見失っていたかもしれない。
   
残念だけど帰るときはお葬式と
漠然と思っていた。
   
    
   
対面した叔父は
呼吸器に繋がれていて
見たこともないほど
顔が浮腫んでいた。
 
それでも 呼び掛けると
うっすらと反応があった。

「おんちゃん
ひろみ、分かる?」
目と目があった。
じっと見ている。
涙が出た。
    
意を決して
おばには聞こえないように
叔父の耳元に顔を近づけて

「待っててくれて ありがとう。
ずっと来ないで、ごめん。
お疲れさまでした。
ありがとう。」

と告げた。
  
   
   
本当に最期かもしれないという
悲しみを打ち消すように
叔父のベッド周りや
従兄弟の子どもが遊ぶ病室を
たくさんのバルーンで飾って帰った。

  
   
東京に戻った翌日の夜
叔父の訃報がはいった。
  
  


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大人になってからは
たまに帰省の際に会うくらいで
なんとなく
関係が希薄になっているように
感じていた。
  
でも、叔父にとってはいつまでも
かわいい姪だったのだと分かった。
   
私が後悔しないように
生きて会ってくれた。
最後まで優しい叔父だった。

  

不確かな物

私たちにとって、いまやお金はなくてはならないものだ。それでも、現在流通している貨幣は

国の政策でいくらでも増やすことができ、お金自体の価値はよく分からないものになってしまっている。貨幣の絶対量が増え続けているということは、それ自体の価値が下がっていく。

国も銀行も危ないと囁かれている。

 

今日は暗号通貨の勉強会に参加した。暗号通貨は誰にでも創れるとあって、9割は詐偽とも言われているが、信用できるものは 価値が上がり続けているらしい。

 

日本にいると、貨幣の移動の際の手数料はそれほど気になるほどではないが、欧州など国をまたいでやり取りしているところは 多額の手数料がかかるのだと聞いたことがある。

また、アメリカやアジア、アフリカなど、銀行口座を持てない人達が、プリペイドなどの安い携帯電話を持つことで、仮想通貨の需要が延びている。

日本でも銀行が介入してきたり、ユニクロビックカメラビットコインの導入をし始めたことで、これから益々の需要が増えていくだろう。

 

交通機関を利用するときの改札ワンタッチは、いまや当たり前。もう二度と券売機主流には戻らないだろう。このように、私たちは便利さに慣れてしまうと、元には戻れない性質がある。

 

暗号通貨は騙されるから怖いなどと謂っている時代は、もう終わるだろう。
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生を知るために死を振り返る

それは
初めての 死 との出会い



「友だちになろう!」
「うん」

「ぼく、ふ さ え って言うんや」
「あたし、ひろみ」
 
小学校の入学式から
1週間ほど過ぎた頃だったか。
 
  
  
    
私は たぶん変わった子どもで
 
生まれてきてしまったという
後悔のような気持ちと
これから何年も
生きていかなければならないという
途方もない不安のようなものが
いつも背後にあった。
 
そして、油断してそれに襲われないように
飲み込まれて抜け出せなくならないように
できるだけ感じないよう
思考を止めている状態で生きていた。

一見、何を考えているか分からない
ぼーッとした子どもだったかもしれないが
6歳にして内面はかなり鬱屈していた。
 
  


帰り際に
「やっぱり、友だちになるのやめたっ」
「友だちになるの、やめるのやめた!」
「やめるのやめるのやめた!」

冗談のような言葉遊びを交わした。

でも本当は
彼の  誰にでも屈託なく
ニコニコしている性格が
妬ましくて
意地悪したかった。
   
  
   
   
翌日、ふさえちゃんは学校に来なかった。

朝の会で先生が
「昨日の夕方、うすだふさえさんが
自動車にはねられて亡くなりました」
と言った。
  
   
   
クラスのみんなで
葬儀に参列するために
歩いて向かう途中
溝に菊の花束があった。

濁ったヘドロのような水が
妙にグロテスクだった。
ふさえちゃんの
身体の一部かもしれないと思った。
  
      
人ってあっけないなという氣持ちと
意地悪したまま逝ってしまった後味の悪さ
 
みんな泣いてたけど
私は泣けなかった。
 
     
       
机の上の花がなくなり
その後 同級生からは
ふさえちゃんの名前を
聞いた記憶がない。
 
私の記憶からは消えない。
 
 
 
小さくて
にこにこ笑っていた
おかっぱの可愛らしい男の子。

生まれて初めての
「死」との対面だった。

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4年後
私自身が 数時間だけ
ふさえちゃんのいる世界を訪れた。
   
あちらの次元とこちらとは
境目があったのだろうか。
  
或いは
ある瞬間に道が別れていくのだろうか。

父からもらったもの


病院嫌いの父は
癌が見つかったときには
既に余命3ヶ月と言われ

胃から転移したガン細胞で
内臓全体が真っ黒になっていた。

入院しても病院嫌いは相変わらずで
薬は飲まずに枕の下に隠していたり

亡くなる1週間前には
病院を抜け出して
映画に行ったりもしていたようで

ある意味、死ぬまで譲れない領域は
守っていた人だった。



そんな父が
病院で転んだとの連絡を受けて
すぐに帰るつもりで、1歳の息子を夫に預け
一人で田舎に駆けつけた。

その日は寝たり起きたりの状態だったが
時々目を覚まして
少しだけ会話もでき
夜になって
妹家族や母は家に戻ることに。

私と父の友人との二人が
自分達の意思で付き添うために病院に残ることにした。



その夜
徐々に辛そうな状態になり
目を開けることが殆どなくなり
苦しそうな表情で、立てた膝を何度も組み変える父の足を
私は何時間もさすり続けていた。

この一時が過ぎれば また父が返ってくることを
疑うことなく何時間も。



そんな時、看護師さんから
「一度 ご家族を呼びましょうか。
ゆっくりでいいので、来てもらうように
お電話してきてください」

 

妹に電話を掛けて
戻った私を待っていたのは


息を引き取ったばかりの父だった。
~~

この経験は
何年も私を苦しめた。

とても好感を持っていた看護師さんだった。

しかし、後から沸いてくる不信感が拭えない。


父の側についていたにも関わらず
死の瞬間にいてあげられなかった。


その後、この経験が感謝に変わったのは
エリザベス・キュープラ・ロスの書籍だった。



人は亡くなる時
大切な人を悲しませないよう
その瞬間に
居合わせないようにさせることがある。

と、確かこのような内容が書かれていた。


逆にいうと
私が何時間もさすり続けていたことで
父は苦しくても肉体を離れることが
できなかったのだ。

看護師さんは経験から
恐らくその事を理解していたのでしょう。
そっと私を父から離してくれた。
父はどれだけ苦しいのを耐えていたか。



父は、晩年こそ穏やかな人だったが
怒りの人とも言えるくらい激しい気性で
幼い私は辛い思いをたくさんした。


しかし
亡くなる際の大きなギフトは
その後の私の人生に
多大な影響を与えてくれた。

もらったのは
「愛」そのものだ。



後日談

東京に戻ってからも
悲しくて毎日泣いていた。

その朝も
ひとりでメソメソしていた。

キッチンカウンターに置いてあった
形見の電気カミソリが
コンセントも差してないのに
「ブルブル~!ブルブル~!」

あれから17年
いつも側に父を感じる。

目に見えないものの大切さを
教えてくれた父だった。

 

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